い波




瞼をゆっくり持ち上げると、今度は白い天井が目に入った。
動かそうとしても全く言う事を聞かない体に、腕に向かって垂れ下がるチューブ、そして鼻につく薬品のにおいでようやく自分が病院に居る事を把握した。
しかしなぜここで自分が寝ているのか、ここにくる前の事を思い出せない。思い出そうとしても、ひどい眠気に襲われてそれに抗う事ができずまた瞼を閉じた。

重い石をくくりつけられて、泥沼に沈められているような感覚に目を覚ましたのは、白かった天井が橙色に染まった頃だった。
動かない体の上に乗っかる「重り」の正体。必死に視線を下にうつすと見覚えある頭が腹部を枕にしていた。
「…ひぃ…」
乾いた喉では上手く声を紡げなく掠れた音だけになってしまった。しかし寝ていた人物には十分に聞こえたらしく、がばっと飛び起きた。
「デュオ!」
今まで見たことのないヒイロの焦りように、自分が心配されているのにも関わらずこんな顔もできるのかと関心してしまった。
ぼうっと感心しているデュオと対象に、ヒイロせわしなく動いている。ヒイロがデュオを起こし後ろにクッション代わりの枕を置くと、すかさず用意した吸い飲みでデュオの喉を潤す。そんな至れり尽くせりな状況にデュオは笑がこみ上げてきた。
「大丈夫か?」
ヒイロが自分を心配してくれるなんていつぶりだろう…。もしかしたらOZに捕まった時に助けてもらって以来だろうか?そんな事を考えていると病院に似つかわしくない音を立てて扉が開いた。
勢い良く入ってきたのはサリィで、何時の間にかナースコールを押していたヒイロの手際も良さにまたも関心してしまった。
「…ぃてるの?」
「っと悪い。何か言った?」
ヒイロの優しさに感動していて、サリィに話しかけられているにも気がつかなかったらしい。
「もう…意識はしっかりしているみたいね。1週間も目を覚まさないからみんな心配してたのよ」
「いっ1週間?俺そんな寝てたのか…」
「そうよ。怪我が治っていないから、まだまだ安静が必要だけどこれで一安心ね」
「…?でも何で俺怪我してるんだ?」
しかも動けないほどの大怪我を。デュオは自分の身に何が起こったのか全く思い出せないでいる。
「…一時的に記憶障害が起きているのかも」
それくらいなら心配ないわと笑うサリィに、デュオは口を尖らせ不貞腐れて見せた。
「それだけ元気があればすぐ良くなるわね」
と言うとヒイロに何か伝えてから去っていった。
「たしか1週間前は…MS作ってるって噂がある工場を調べに行って…それから…?」
そこまでは思い出せるがそこから先は思い出せない。
「それから、工場で爆発が起こり」
デュオが思い出そうとしていると、ヒイロが補足をしてくれた。
「その時崩れてきた天井の下敷きになった」
そう言えば爆発音を聞いた気がする、とヒイロの言葉に納得してデュオは頷く。
「まあでも下敷きになってもこうやって生きてるし、俺って悪運強すぎだよな!」
まだ体は動かないけどと浮かれて喋るデュオに、ヒイロの表情は一瞬暗くなる。しかし気がつかれる前にいつもの仏頂面に戻すと、
「今は休んだ方が良い」
とデュオを寝かせ、布団をかけてやった。
「どうしちゃったんだよお前。優しくて気味が悪いぞ」
変なのと呟いてデュオは寝る体勢に入る。そしてデュオが眠ったのを確認してからヒイロは退室した。

「口ばっか動いてかなわん。あいつは怪我をする所を間違えた」
と見舞いから帰ってきた五飛がヒイロに文句を垂れた。
デュオが目を覚ましてから1週間。まだ体を動かす事が出来ないデュオの体力は有り余っているらしく、見舞いにきた人達や診察にきたサリィ等々、病室に入ってきた人、全員に喋り倒しているらしい。ヒイロも五飛のようにうるさいと思う事もあるが、
「元気なのに動けない事でストレスが溜まっているのよ」
とサリィに言われ、少しでもストレスの発散なれば…と何も言わないでいた。
これを五飛に言えば、甘やかし過ぎていると怒られる事が目に見えているので言わないでいる。それにあの調子なら直ぐにリハビリを始めることができるだろう。そうすれば疲れて嫌でも静かになる。もう少しの辛抱だ。
しかしリハビリが始まる事で、デュオの新たなストレスが増える可能性がある。そうなった時も、今のように喋る事でストレスが発散できればいいのだが…。
先の事を考えてもしょうがない。今は五飛の怒りを静める事に専念する事にした。

さらに1週間が経ち、デュオのリハビリが始まった。
足を少し曲げるのも痛いと嘘泣きをしながら伝えてきたり、ようやく少しだけ戻った握力でスプーンが握れるようになったと、嬉しそうに報告してくる。今まで動けなかった分、ようやく動けるようになったのが嬉しいのか、リハビリにむかうデュオは楽しそうだった。
しかしヒイロはそんなデュオを見て胸が痛んだ。

「あー今日も疲れたぜ。すぐ復帰するから待ってろよ!」
今日のリハビリが終わり、上機嫌でベッドに転がるデュオが ヒイロに言う。現場へ復帰することを目標にデュオはリハビリを頑張っていた。
目標があれば自然とモチベーションが上がる。万年人手不足のプリベンターとしては、デュオが早々に戻ってきてくれるとありがたいのだが、ヒイロはデュオが目覚める前にサリィから聞いた話を思うと苦虫を潰したような顔になった。
幸いデュオの体を拭く準備をしていたヒイロは、デュオに背を向けていたため顔を見られずにすんだ。
もし見られていたら微妙なヒイロの表情の動きに気がついていただろう。そうなれば何故そんな顔をしているのかとしつこく聞いてくるに違いない。あの事をデュオに伝えるのは、サリィと相談し怪我が完治してから話をした方が良いということになった。
それが本当に最善な選択なのか2人ともわからない。ただ、余計な悩みを増やすより先に怪我を治す方が良いと思ったからだ。
「ちょっ痛いって!」
どうやら考えこんでいて、力が入り過ぎていたらしい。ブーブー文句を垂れているデュオに謝罪を入れると、デュオがため息を吐いて微妙な顔をした。
「何かお前変だよ…妙に優しいくせにあんま俺の顔見ないし…」
デュオの言葉にドキッっとした。
「怪我人に優しくして何が悪い」
「そうだけどさぁ…」
まだぐちぐち言っているデュオを無視して、ヒイロはまたデュオの体を拭き始め、結局この日はほとんど会話する事がなった。

「お前たち喧嘩でもしたのか?」
デュオのもとへ2人で行った帰り、五飛がヒイロに尋ねた。
あの日以降ヒイロとデュオはどこかよそよそしく、明らかに2人の会話も減っていた。
そういう訳で3人でいれば、デュオが話しかけてくるのは必然と五飛になる。そして今日、デュオはヒイロと全く話さないうえ、更に目も合わそうとしなかった。
そんなデュオの態度を見れば、何かあったと気がつかない方がおかしい。この手の相談をするのに適しているのは本来トロワなのだが、あいにくここには五飛しかいない。2人のもめごとに巻き込まれるのはごめんだが、このままにしておくのも色々と面倒なので、とりあえず五飛はヒイロに聞いてみたのだ。
五飛が問い掛けてから約5分。珍しく考えこんでいたヒイロは、言おうか迷いながら俯いていた顔をあげた。
「…すまない」
その一言だけ言うとヒイロは再び俯いてしまった。
やはりこの手の事は苦手だと、思い空気を纏ったヒイロを見て五飛は思う。ヒイロに引きずられて鬱々しくなりそうなのをなんとか踏みとどまると、とりあえず身近にいて何か知っていそうなサリィに相談しようと決めた。


デュオがリハビリを始めてから1ヶ月が経ち、まだリハビリに通わなくてはならないが、ようやく退院の日取りが決まった。
ヒイロとデュオの関係は改善せず、あの時から平行線を辿っている。そんな時に退院が決まり、ヒイロと同じ場所に住んでいるデュオは悩んでいた。
仲直りするのが手っ取り早いのは分かってはいるが、デュオはヒイロのあの何かを隠している態度がどうしても許せなく、デュオから仲直りを提案するのはあり得ない。しかし、今ヒイロが謝ってきたとしても、許せないかもしれない。やはりこんな状態で一緒にいるのは無理だという結論に辿り着いたデュオは、頼み込んで五飛の家に泊めてもらおうか考えていた。

デュオが今日のリハビリを終え病室に戻る途中、廊下の角に丁度五飛が立っているの見え、まだ気がついていない五飛に、デュオは声をかけようとした。
「…隠して何になる!?」
静かな廊下に響く五飛声。
「病院なんだから押さえて…。私たちはまずデュオの回復を待ってから…」
そして死角にいるもう1人。声からして相手は多分サリィだろう。
「どうせ足が元に戻らないのなら、ある程度動けるようになった今言う方がよっぽど辛いだろう…」
自分の事を言っているのに、脳がそれを理解をする事を拒否している。デュオはもうこれ以上聞いていたくなくて、2人に気がつかれないよう遠回りして病室に戻った。
頭も中が真っ白になって何も考えられないでいる。デュオは絶望でグラグラする頭を抱え、力が抜けた体でベッドに倒れこんだ。

部屋全体が橙に染まる頃、ヒイロはデュオの病室を訪れた。
松葉杖とスリッパは散らばっていて、ベッドには山ができている。喧嘩中とはいえ、いつもだったら起きてウロウロしていたり、ベッドの上にいたとしも上半身を起こしてストレッチをしたりパソコンをいじっていて、布団を頭から被っている事なんて一度もなかった。
いったい何があったのか。デュオに聞くにもきけず、ヒイロは持ってきた着替えとタオルを棚にしまった。
「何で…」
いつも通り何も言わずに帰ろうと扉に手をかけた時、デュオの声が聞こえた。
「知ってたんだろ。何で教えてくれなかったんだよ…」
布団越しの声は微かに震えている。
その声で隠していたことをデュオが知ってしまったのだとヒイロは悟った。
しかしヒイロは、デュオになんと声をかけたらいいのかわからず、扉に手をかけたままで立っている。
「お前は俺が、体が動かなくなったからって自殺でもするような弱い奴だと思ってたのか?」
泣いているのか、怒っているのか、あるいはその両方なのか。
布団の奥から畜生と掠れた声が聞こえた。

デュオはそれ以降ヒイロだけでなく、五飛やサリィその他病室を訪れる人にもあまり喋らなくなり、病室で塞ぎこんでいた。
そして退院の日はすぐやってきた。
デュオは車の後部座席に横たわり、ヒイロが手続きを終えるのを待っている。正直デュオは気が重かった。いや、ヒイロの方も同じだろう。同じ家に帰れば、今まで以上に顔を合わせる事になる。今の状態のデュオをどう扱っていいのかヒイロが悩んでいるのは明白で、デュオの方もヒイロにそんな態度をとらせてしまう自分が嫌だった。
今度言い合いになれば2人の関係は修復不可能になってしまうだろう。デュオだってそんな事を望んでいるわけではいない。けれど感情が先走ってしまい、今のデュオにはセーブできないでいた。

久しぶりの自分の部屋はヒイロが掃除をしてくれいたのか、前よりもきれいになっていた。
その日の夕飯も病院ではお目にかかれないステーキで、その他にもデュオの好物が並べてあった。
そしてヒイロはデュオが椅子に座る時も立ち上がる時も椅子を引いてくれ、トイレに行こうものならついてきそうな勢いだった。
家に戻って数時間。デュオは自分に対し気を使いすぎるヒイロにすでにげんなりしていた。
いくら足が不自由になってしまったからといって、誰かの手を借りなければ生活ができないわけではない。もう手伝ってもらわずとも1人で何でもできるのだ。ヒイロだってわかっているだろうに何故か世話を焼く。 それが無性にデュオを苛つかせた。
またもついてきそうなるヒイロを何とか止めて、デュオは自分の部屋に籠った。そしてベッドに横たわり、自分のこれからの事を考えた。
朝、デュオはドアをノックする音で目が覚めた。ここには2人しか住んでいないので、叩くのはヒイロしかいない。しかしまだヒイロに会いたくなかった。今はまだ1人で頭を冷やしていたい。だからデュオは頭まで布団を被り気がつかないふりをした。
それから少ししてノックの音が消え、
「デュオ俺は仕事に行く。食事は用意できているから後で食べろ」
とヒイロは一言残して去って行った。
ヒイロいなくなって30分、ようやくデュオはベッドから這い出る。 取り合えず洗面所で顔を洗い、それから食卓へ向かった。
ラップで覆われた皿の下に一枚メモが挟んである。ヒイロの書置きだ。メモには、皿はシンクに入れておけだの、昼は冷蔵庫にあるものを温めろだのと書いてあった。
デュオはそれに目を通すと、食事には手を付けずまた自室に戻り、小さなバッグを手に取り外へ出て行った。


それから1週間。デュオは家からそう遠くない砂浜で、リハビリにも通わず砂の上に横たわりただ波をみていた。ヒイロが探しにこなかったのは正直ありがたかった。1人でいる事で少し冷静になれたからだ。しかし冷静になれたからと言って、まだデュオの考えがまとまったわけではない。今までの事やこれからの事が浮かんでは消え、をうまく整理できないでいた。

日が暮れ人気が殆ど無くなった海でデュオの方へ近づいてくる足音が聞こえた。
見なくても誰だかわかるその気配に、デュオは振り向きもしないで海をみている。近寄ってきた方もデュオの態度を気にせず、少し離れた所で止まるとその場で腰を下ろした。
「…サリィがリハビリに来ないと怒っていたぞ」
隣に座っているのはデュオが思った通り、今一番会いたくないヒイロで、その一言だけ言うと黙ってしまった。
デュオが子供の時は、養ってくれる人もおらず自分でどうにかしなくてはならなくて、動けなくなるという事は死んだも当然だった。しかし今は違う。足が動かなくなっても職に就くことはできる。今のデュオにはそれだけのスキルがある。プリベンターでも、部署は確実に変わるだろうが、そのまま働けるだろう。しかし今のデュオはそれが辛かった。
「畜生!あの時死んでたら、こんなの悩まなくてすんだのに!!」
「デュオっ!」
「お前は頑丈にできてるもんな。でも俺はあいにく普通の体だからさ…」
ヒイロに当たるのは間違っている。そうわかっていても、デュオの言葉は止まらない。醜い嫉妬だ。ヒイロには敵わなくても、肩を並べ共に戦える事がデュオは嬉しかった。しかしそれもできなくなった。今まで誇りだった身体能力を失ったのだ。
「決めた」
デュオは松葉杖を取り立ち上がると、うっすら見え始めた星を見上げた。
「俺、コロニーに帰るわ」
その言葉に驚いたヒイロは立ち上がり、デュオの腕を取る。
「何故だ?プリベンターだってお前を待っている。それに何かあった時どうするんだ?ここにいた方が…」
「今お前と一緒にいるのは辛いんだ。…一緒に前線に立てないのが辛い。ヒイロに優しくされる度にその事実を押し付けられて…もうどうしようもない事だってわかってるのに悔しくて…」
「だから俺が落ち着くまで待ってくれ」
ヒイロは何も言わずにデュオを抱きしめる。それをデュオは無言の了解と受け取った。
「ごめん。わがまま言ってごめんな…」
震えるデュオの背をあやす様にヒイロは背中を叩いた。








2011.09.11